浦河百話 ­第四編 昭和前期の時代(第六四話~第百話)

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繁栄と戦争の二十年

昭和の初めから二十年八月の終戦までを、もし特徴づけるとしたら、浦河にとってそれは港の完成と戦争である。

浦河港の建設は大正十年に始まり、昭和五年に完成した。これは浦河町にとって一つの頂点を極めたことで、十年に開通した鉄道よりも、当時の浦河人にとっては重要なことと受けとられていた。というのも、港の建設は明治以来の町の悲願だったし、農林水産物の移出にも、期待通りの大きな力を発揮した。この時期はまた、昌平町、大通り、常盤町、旭町、これに一番繁栄を享受した浜町、入舟町といった市街地がほぼ現在の形になった時期でもある。役所、病院、商店、住宅、歓楽街、交通、通信、娯楽など、町としての体裁は、機能としても設備としても日常生活に支障がないほど整っていた。その上、マグロ、イカ、イワシなどの記録的な漁にも恵まれ、稲も畑作物も造材も盛んに行われ、すべてが順調に拡大していた。これを受けて町にはバスが走るようになり、映画は大繁盛し、飲食店や飲み屋は人で一杯だった。新しい移住者も増え、新興の街のように人びとには意欲が漲っていた。浦河小唄というレコードを造る人もいたほどである。

こうした気運に水をかけたのが、満州事変から太平洋戦争に至る一連の流れである。軍馬の需要拡大は確かニ生産農家をいちじるしく刺激したが、産業全体としての正常な発達は妨げられたといってよい。

四十代以上の人なら、かつて町中に防空濠跡のあったこと、古い家には機銃弾の貫通した跡が、あちこちにあったことを覚えていよう。また五十代以上の人なら、長いあいだ浦河に軍隊が駐屯していたことは記憶にあろうし、訓練や生活ぶりも見知っているに違いない。「浦河駐屯軍略史」は、昭和十二年から二十年まで浦河に駐留した部隊の変遷を略述したものである。そういう状況であれば当然軍用機や艦船の事故も起こり、ひそかに特攻兵器を造ったことなども、秘話として一部の人びとのあいだで伝えられていた。これらのエピソードは、やはり書き残しておかねばならない逸話であった。

暗い戦雲のなかから、ポカッと光が洩れてきたようなメルヘンの世界もある。「長さん地蔵の話」はまさにそうした一篇で、佐藤愛子著“うらら町字ウララ”の主人公トクさん、浦河の人なら知らぬ人とてない徳さんの父母の世界を描いて、同作の前篇をなしているかのごとくである。

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